もぐらと星の物語 -4ページ目

ディスコ・キッド  !!!

ディスコ・キッド

 

 

この曲が わかる人は、かなりの通か、年配者か?

 

シツレイしました・・・

 

なんと懐かしいのでしょう!!

 

この曲が作曲されたのが、1976年。

そして、1977年の 中学・高校吹奏楽コンクールの課題曲だったのです。

 

当時、(1977年) けんちゃんは、中学校に入学。

兄と姉が かつて在籍していた吹奏楽部に入部。

 

そこで、この曲と廻り会ったのでした。

 

この、ディスコ・キッド という曲は、一言で言うと、

 

『 聴いていても、演奏していても、楽しい曲 !! 』

 

なんです。

 

吹奏楽部  イコール 堅い  イメージ

 

なんてものは、全く感じさせない、ある種、型やぶり???斬新???

な 曲なのです。

 

とっても名曲なのですが、よく 『課題曲』 に残ってくれたなぁ~

というのが 正直な感想。

だって、『ディスコ』  ですもの・・・

 

曲自体も なかなか面白さ一杯で、本当に楽しい。

 

 

冒頭の ドラムのハイハットとピッコロのソロ。

オーボエと木管が、その旋律を追いかけて

金管も加わり、盛り上がる。

ここでの、ホルン・トロンボーン・ユーホニウムの吼え方が好きです。

 

第一のテーマがあって、なんと ソロパート。

 

クラリネット と チューバ が務めます。

 

今まで こんなソロ あったのかなぁ~

 

そして、次々と 楽器を換えて、テーマを繰り返します。

 

それぞれの楽器が 必ず目立つところがあるから

演奏していても 楽しいのでしょうね。 きっと・・・

 

特に ホルン がいいなぁ~

 

 

一度 聴いてみて下さい。 楽しいですよ。

 

 

ディスコ・キッド 愛好会のHP

  

由紀子さま     宛のない手紙

由紀子 様からの手紙

 

 

 

1985 2. 7  

こんにちわ!   

ユキちゃんで~す。       うふっ

朝子お姉さまに住所を教えてもらっちゃったの!

・・・だってけんちゃん、何も教えてくださらないンですもの。 くすん。

この手紙が着く頃は、もう札幌に帰る支度も、

もう整った頃でしょうネ・・きっと!

いよいよ 念願の ”御帰省 ” かしら~!? 彼女と一緒で嬉しいでしょ?

 ネェ~ 札幌に帰ったら、雪まつりの写真、送ってェー。 

私 欲しいの・・・。

彼女と一緒に写っているのでいいから・・・。

 

 

・・・ここで一言、 けんちゃん、程んど信じていなかったみたいだけど、

私、ホントのホントに・・正真正銘の39年生まれの大学2年生ですヨ。

朝子さん達に”4年”なんて大きく出ちゃったものだから、一応言った手前、

あとには引けなくて、そのまま押し通しちゃったけど・・・

ちゃんと学生証も持ってたのよ! 今も持ってるけど・・・。

私、お化粧すると最高24才まで見られるンだから~~~。・・・でもネ

普段、寮にいる時って 素顔でしょ!?

でも私ってすごく素顔は幼い顔をしてるの。

今だに、寮のおばさんたら、私のこと 1年とまちがえるのよオー。

もう やんなっちゃうー。

 

 あっ、それとネ、私今 兄キのところで この手紙を書いているンだけど

なんと あさってから スキーに行くんですのよ。 

うふっ、 いいでしょう!?

ムリヤリたのみ込んだの。

群馬県っていう所にうちの親せきがあってネ、そこに泊まってそこから車で行くの。

兄キと兄キの友達ばっかりで、女の子は私1人なのョ。紅一点、

谷間のゆりかしら~

だから、多分2月の末か、あるいはもうちょっと、

おじさんの家にいることになりそうです。

ね、ね、だから、そこの住所教えるから、雪まつりの写真、送ってネ・・。

待ってるから。

 

 

東京には いつ戻ってくるの?!

私、3月いっぱいに下宿が決まらなかったら、来年も寮にいるみたい。

でもネ、3・4年生って専門課程だから優先されるの・・・。

だから、小平の第一寮に入れるかもしれないの。近くなるわネ!! きゃっ!

あっ、でもあんまりこんな事 書いちゃ 彼女にわるいわね。

・・・では、この辺でやめておきます。   元気でね!!

風邪ひかない様にね! 

おフロで 貧血おこさない様にね!  くすっ

                          BYE,BYE

 

 

   願わくば、この手紙、けんちゃんが帰る前に、いなくなっちゃう前に

   手元に着きます様に !!

                             

              ユキコ 

  







 

 


由紀子様への手紙

    今、現在から

 

こんにちわ!   

 20年ぶりに、あなたから頂いたお手紙を読み返しました。

懐かしさと 愛しさと せつなさと 後悔と 驚きと・・・

 

あなたはとっても優しかったよね

そして 甘えんぼだったよね

右の耳があまり聞えない 僕を 気遣って

いつも 僕の 左側で まとわりついていた・・・

アラレちゃんの周りを飛びまわっている

ガッチャンのように・・・(笑)

背が低く ちょっとぽっちゃりとして 柔らかな印象で

でも いろんな話をしてくれた。

当時は僕は痩せていて 一人暮らしの食事の事にも気づき

バイト先のお昼を一緒に買いに行った時

「これ 食べなさい!。そんなのはダメよっ。」

って 母親かお姉さんのように注意してくれた。

 

由紀子さんと僕は たぶん 2週間しか一緒にいなかったよね

二月の初めころ・・・

今 手紙を読み返して 二人とも 大きな勘違いをしていた!!

僕は 今まで あなたの事を 三つ年上の 津田塾大のお姉さん

だとばっかり思っていた。だから 当時も 四月になったら

京都に帰ってしまうんだろうなぁ と思っていた。

だから 好きになってはいけないものと 思っていた。

 

 

それから 由紀子さん  

確かに 僕は そのあと 大学のクラスの娘と 

生まれて初めて 飛行機に乗って 札幌に帰った。 

僕も 不思議だった。

その娘が 「一緒に 札幌に 帰って下さい」 と言った事。

その娘の家が 転勤で札幌に移り 初めて札幌に行く 事と

その家が 僕の実家から比較的近かった事 

雪道を初めて歩くのは危ない と思った事  

などで 札幌に一緒に帰る事になったけど、

クラスで仲が良かった訳でもないし 

まして その娘は 学部のアイドル的な人だったので 

反対に 迷惑にならないようにと思ってた。

だから 彼女 ではないのだ!!

でも 普通に考えると やっぱり おかしいですよね。

彼女だと 思われても 仕方ないですよね?

札幌では スキーに行ったり 札幌の美しい所をみたり

僕の友達のカメラマンに頼んで その娘の写真を撮ってもらったり・・

でも もう一度 言わせて下さい。 彼女ではなかったんです。

そして その後も 彼女には ならなかったんです・・・。


でも 由紀子さんは それが許せなかったんですよね。

僕が札幌に帰省している間 あなたはどんな気持ちでいたのでしょう。

お馬鹿な僕は 東京に戻ったら 

あなたといろんな所へ行きたいと思ってました。

吉祥寺や国立・玉川上水での文学散歩、もちろんスキーにも・・・

でも 僕が何通か出した手紙に 

由紀子さんが 返事をくれることはありませんでした。

そして 一度だけ 京都の実家にも電話をしてみました。

やはり 出てはくれなかったけど・・・

それから 一年以上 僕は 由紀子さんのことを 

忘れる事ができませんでした。

いや 実際には 今も 忘れていません。

 

 

もし・・・

由紀子さんが 年齢を偽っていなかったら

僕は 2週間のうちに 

あたなをもっともっと愛しいと感じられたでしょうか?

そして 僕が クラスの娘と札幌へ帰省する事を告げていなければ

あなたは僕に 答えてくれたでしょうか?

 

僕の頭の中で 今でも残っている 

あなたの面影を 忘れることはできないけれど

辛いとき 苦しいとき 想い出の中で 僕を支えてください。

 

今 仕事でよく津田塾の前を通ります。

あなたが 4年間過ごした 大学の樹々は 色濃く

今も とても きれいです。

 

YOSHIKA

以前、智ちゃんに訊いたことがある。

 

『 夜中に仕事をしていて、智ちゃんの声が聞きたくなったら

  どうしたらいい? 』

 

この問いに対して、智ちゃんは 簡単・明瞭に答えた。

 

『 YOSHIKA を聴く !!! 』

 

 

 

会えなくなってから、毎日聴いているよ。

でも、YOSHIKA の曲は、

YOSHIKA 本人は、とっても明るい子なのに、

どうして 曲は、あんなにせつないものばかりなんだろう ?

 

今年 1月に出た アルバムも とっても素適。

 

でも、敢えて この曲。

 

 


 

 

         let go



作詞・作曲・歌 m-flo loves YOSHIKA



let go let go I know I gotta let go

let go let go I know I gotta leave my past behind and let go


let go let go I know I gotta be strong

You better know where you're going and know where you're from

Better believe it baby, let's go



このまま 忘れられなくて

閉じ込めては いられなくて

 踏み込んじゃいけないと わかってても

 この気持ち どうしても gotta let you know


 あつく 激しく 動く時間の中で

 欲しいよ 君の heart, boy 一瞬でも

 

 叶わない恋におぼれても このまま

 夢から覚めたくない can't let go

ワガママでもいい 揺るがない愛が ここに欲しいよ

 

 

 甘く 静かに 時は流れてくのに

 体が It's breaking apart boy どうして

 

 壊れそうなくらい 不安になるだけ

 Oh why 独り占めしたくなるの

 何も言わず ただ君の愛が ここに欲しいよ

 









 


 

 


第三者・・・

12月17日に あの人 ( 僕のお嫁さんだった人 ) と 話し合いをするはずだった・・・

 

あの人は 子供の養育費について それから 自分が再婚した場合の子供たちの処遇について

 

僕の方は 自分の今の生活と子供たちの父親であることとの優先順位について

そして あの人が 離婚しているにも係わらず 僕の携帯電話の内容を盗み見て

付き合っていた 智ちゃんに 迷惑メールや無言電話

更に 留守電に 『 殺してやる 』 と入れる脅迫行為についての抗議をするつもりだった。

ところが 17日にあの人からは メールが来ただけだった。

 

   今日は都合が悪い。 話ってなに・・・?

 

折り返し 僕がした電話に あの人が出ることはなかった。

その代りに 忘年会の最中だった あの人の同僚が電話に出た。

僕と顔見知りのその同僚が言うには

 

  今 忙しいらしいよ。 話なら 聞いておくけど・・・

 

僕は 『 いいよ。 』 と言って 電話を切った。

 

もう あの人は 僕と面と向かって話しをするつもりはないのだろう。

もっとも 僕の方も あの人には うそばかりつかれて

あの人の言うことを信じることは出来なくなっているけれど・・・

たとえ 本当の事を言っても まず 疑ってかかるでしょう。

うそをつく とは そうゆうこと。

 

そして それを証明するかのように

東京家庭裁判所から書類が届いた。

『 子供の養育費について 』 の家事調停の申し立てがあった とのこと。

 

近々、裁判所で 調停委員を含めて 話し合いをするそうです。

 

 

一昨年まで 同じものを信じていた と思っていたけれど

最初から 異教徒だったのかな?

結局 同じ夢など 描くことは できなかったんだな・・


 

 

 

            第三者

 

 

                           作詞・作曲 さだまさし

 

 

   死んだ珈琲 挟んだままで

   外の信号の変わる数を

   テーブルに映る 黄色で数えて

   ついでに想い出も数えて

 

   忘れかけてた 君の癖が

   こんな時にふと目についたりして

   懐かしいものと 出会った気がして

   笑ったら君は怪訝な顔をする

 

    もう 明日は第三者

    信じるものさえも 違う異教徒になる

    一度は 同じものを信じた

    二人が奇妙にも 見知らぬ人になる日

 

 

   車のライトが 時折よぎる

   前髪の奥の君の瞳には

   既に僕の 姿は消えて

   蝋燭の赤だけが揺れてる

 

   隣の席の 笑い声が

   幾分僕等に気兼ねをして

   やがてこの店の 最終注文を ( ラスト・オーダーを )

   尋ねる時間が訪れる

 

    最后の 御注文はいかが

    お二人に似合いの デザートはいかがですか

    表は 季節の替わり目の

    雨が降り始めて 音楽がやがて止まる

 

    もう 明日は第三者

    最后の注文は何かありませんか

    もう 明日は第三者 

    最后の注文は・・・

 

 

 


考え方が こんなにも違うものか?

去年の10月 僕の両親の金婚式のお祝いをした。

3人の子供とその伴侶、そして孫達・・・  計 18名。

札幌から 姉貴の家族も飛んできて、日本橋のとある料亭でとりおこなう事となった。

僕とは違って 超エリートの兄の発案である。

 

ところが・・・

 

その予定を あの人 (僕のお嫁さんだった人) に話すと

 

  「私は 行きません。 私はそんなところへ着てゆく服がないので

   あなたと 子供達だけで 行ってきて下さい。

   うちに そんなお金 ないですから・・・                」

 

運転中だった僕は あやうく 次の動作を忘れるところだった。

僕は あの人の頭の中を 理解できないでいる。

確かに その1月前 あの人は 実父を亡くして 落胆していたのは わかっている。

あの人の母親は 小学生の時に 死んでいる。

羨ましい という気持ちは わからなくもない。

しかし それと 金婚式に行く行かないは まったく別の話だ。

お金の問題だと言う。

僕は 冠婚葬祭 義理ごとには 借金してでも駆けつけるものだと思っていた。

まして 金婚式 である。 誰にでも 出来るものではないのだ。

 

お金のある・ない の問題ではない。 考え方の違いだ。

姉貴の家族は 6人全員 札幌から飛行機で飛んでくるのだ。

 

あの人は 実父を亡くして 落ち込んでいたのでは ないのではないか?

実父の年金が 入らなくなったので 困ったのではないか?

それは 僕に内緒の借金があるからか?

無理して あの人の希望で 子供たち3人を スイミングスクールへ行かせている為か?

 

このあと 僕が家計簿をつけ始めたが 使途不明金が多く まともな 家計簿にはならなかった。

 




 

それから 二ヶ月して あの人の 兄の娘が九州で死んだ。

まだ 21歳で 白血病だった。

前の月に その娘の姉から移植手術をしていて ちょうど その朝に 僕はあの人に

「今回の移植がうまくいかなかったら 今度はあなたがドナーにならなきゃいけないんじゃないかな?」

と 話をした その日だった。

 

すぐに 仕事の段取りをさせ 上3人を実家に預け、夕方の飛行機のチケットを取り、

一番下(1歳)と一緒に 羽田に行かせる。

タイミング良く 僕のボーナスが出た日だった。

なんとか 深夜にあの人の兄の家にたどり着く。

当然だと 思っていた。

あの人の実父が亡くなった日に その兄は 連絡してから 約5時間という 信じられない速さで

佐賀から埼玉まで飛んできたのだ。

 

 

  

こっちに帰ってきて しばらく経って あの人に訊いた。

 


「あの日 もし ボーナスが出てなかったら どうしてた?」

 

「たぶん 九州へは 行かなかったでしょうね」 と言う。

 

 

 

” あぁ もう おしまいだな ”  と 思った。

 

 

「そうゆう時こそ 人からお金を借りてでも 行くんじゃないかな?」

 

 

僕は もう 声を荒げる気力もなかった・・・