もぐらと星の物語 -20ページ目

5月4日生まれの 不思議な僕の父親 (ゆゆ ちゃんと一緒!w)

ゆゆ   ちゃんの誕生日が なんと 僕の とっても 不思議な 父親と一緒だということが

わかったので 突然 思い立って 書いてます。 (ゆゆ  ちゃん ごめんね! 勝手に 名前だして・・・)

要するに これが "勝手にトラックバック" って 言うの?

  

  

けんちゃんの 父親

大正14年5月4日 富山の米屋に生まれる。

 ?人兄弟 の ?番目 で そこそこ裕福な暮らしをしていたらしい・・・

  

ところが あの 大東亜戦争が 始まる。

ご多分に漏れず 召集され 満州 ( 現在の朝鮮半島 ) へ 輸送部隊の一員として 渡る。

昭和20年8月15日 終戦。

たまたま 部隊が 朝鮮半島の 南側にいたときに 終戦を迎える。

もっと 北寄りに居たら おそらく 日本には 戻ってこれなかったであろう と語っていた。

そして 何故か 部隊の上官に連れられて 北海道へ 渡る。

  

ここからが すごい!!

自分のやりたいことを 実行できている・・・

  

そこで 僕の 母親 と 出会う             

その 行動が すごい!!

なにを どうして そこまで 思いつめたのか わからないけど

母親の家に 三ヶ月間 通いつめた そうだ・・・

しかも 最初は まったく相手にしていなかった 母親の家の人におかまいなく

毎日 一室で ただ 黙って 座っていた・・・・                       らしい・・・

  

母親 曰く  「初めは きみが悪かったよね・・・」

  

でも ちゃんと 射止めた? というか 根負けした? というか・・・

  

男の僕からすれば 羨ましい        正解だったと思う

とっても 働き者の女の人だ  当時の 容姿は よく わからないけど・・・(笑)

いや 父親本人も とっても 働き者ですよ。

札幌の家では 大きな畑があって 日の出と供に 起きて 畑仕事をし あるいは 好きな 絵 を描き

会社に行き 夜も遅くに 帰ってくる。

子供ながらに 「いったい この人 いつ寝てるのかしらん?」 と思うくらいだった。 


三人の子供を作り 札幌の夜景を一望できる所に 大きな家を 建て

子供 三人とも 大学に行かせたのだから・・・  

 

ところが 

末っ子の僕が 高校在学中に 仕事を あっさり辞めて  (えっ 僕は どうするの?・・・)

6ヶ月 日本のあちこちを スケッチして 歩く

今でも 絵 を 描いて いろんな人と 一緒に 展覧会を 開いている    らしい・・・


札幌の家を 見晴らしの良い 山の中腹に 建てたのも 絵を 描くため・・・

通学や買い物の苦労したことといったらなかった

なんせ 一番近いスーパーまで 徒歩15分 高低差 200m!

子供達は 小・中学校まで 徒歩15分 バス15分・・・

足腰は 鍛えられたけどね

  

何事にも 一生懸命やっているのが わかるから

母親も 子供たちも この父親のことを ” しょうがないなぁ~ ” と言って 許してしまう

いや ただ あきらめていたのかも・・・

僕でさえ 父親は そうゆう人だ と納得していた

そりゃ 困ったよ

だって  大学 諦めようと思ったし 

実際 僕は現役の時 国立大学を 二次試験で 華麗に逆転負けをして 落ちてるし・・・

でも 学費の安い国立か さもなければ 私立でも 東京で働きながらなら なんとかなるかなぁ・・・

と思ってた

やっぱり 若い時 戦争で辛い思いをした人に 今 できることを するな とは言えない

そう 思ってた

  

この父親から 言葉で なにか 教えてもらった記憶はない

後ろ姿で 語る人だ   

特に 畑仕事の印象が 強い  山も一緒に歩いた

真面目に 根気強く 迷惑をかけず 間違ったことが嫌い

僕は これらを貰った

ただ 違うのは ” 真面目 ” の 前に ” 馬鹿 ”  が付き

” 間違ったことが嫌い ”  ではなく  ” 許せなくなる ”  こと

ちょっとの 違いなんだけど 致命的と思えてしまう・・・

僕のことは いいや

  

だからね 5月4日生まれはね

とっても しあわせ みたい

自分の思うとおりに 生きても 周りの みんなが 納得してしまうんじゃないかな    

ある意味 すっごく 羨ましいな

  

そう 自分の思い描くとおりに やってみなよ

自分の 道 なんだから・・・

  



  

  

  

ash brown

      ash  brown

 

                           navy & ivory

 

綺麗な髪してるね とあなたが

初めて微笑んでくれたあの日

嬉しかったよ 本当は出会った時から

私は あなただけ見てたから

陽射し映える オックスフォードのシャツも

仕事してる凛とした背中も

留守を知らせる 携帯の低い声も

痛いよ・・・  私のものじゃないから

  

恋人がいるあなたに それでも好きなあなたに

臆病で小さなこの私にできることは

少し くすんだ栗色の あなたが褒めたこの髪を

変えずにいることぐらい

  

  

この夏 灼けてたあなたの腕も

少しずつ 色が退いていくように

そう、少しずつでいいの その彼女から

私へ あなたを奪えたら

  

叶わないとわかってても 

いけないと言い聞かせても

本音は悲しいほど こんなに あなたが好きよ

ただ しまいこんだままの

あなたへのこの気持ちは

光らないダイアモンド

  

恋人がいるあなたに それでも好きなあなたに

臆病で小さな私にできることは

少し くすんだ栗色の あなたが褒めたこの髪を

変えずにいることぐらい

  

  

                               作詞・作曲 吾郷 水木生

  

  

 

僕は とっても臆病者である

面と向かって 「好きです」 と 言ったことが無い

" そんなんで よく 結婚できたねぇ~ "  と 言われそうだが

本当のことである

  

高校の時

三年間 好きだった娘がいた

僕は 不器用な男の子なので 周りのみんなに その子を 好きだ ということが ばれてしまう

その子とも 普通に話をするのだが

好きだ と言わないまま その子に 彼氏が出来た

  

学生の時

バイト先の会社の社員の女性(ひとつ年下だった)も 大好きだった

一緒に仕事をしていて はっきりとした 物言いに 惹かれていった

会社の皆と 八ヶ岳のロッヂに行った

引越しの手伝いをした

僕のための わざわざ 部屋で 朝食を作ってくれた

お互い 大好きだと わかっていたのに

言い出せなかった

  


社会人と学生 しかも 勉強についてゆけない学生

身分が違う と思っていた

  

いや そんなのは 言い訳にすぎない  

  

つまりは 自分の自信の無さから 来たものである

  

そう 自分の中の ダイアモンドを

ほんの少しでも 研いていたら

とっても 素適な 輝きを 放っていたであろうに・・・ 

きみの・・・

きみのいない世界なんて 想像できないよ

  

だって 今

とっても 幸わせだもの

  

きみの 澄んだ瞳を見つめて

明るい笑い声を 耳にして

僕が どんどん 優しくなってゆく

  

たとえ きみが いなくなっても

それまでどおり

きみが 傍にいるかのように はなしかけ

僕は 微笑んでいるだろう

  

  

もし ほかの人と 一緒にいるとしたら?

そんなこと 考えたくもないけど

きみから貰った たくさんの愛情で

その人を 愛するでしょう

  

やっぱり 結婚指輪を 買わなかったから・・・

指輪つながりで・・・  結婚指輪

  

以前 姉貴の旦那さんに

「こいつ 指輪はずすと 怒るんだよぅ!」

と のろけられた事がある

体が大きく 熊みたいで でも 目が とっても優しいお兄さんが

そんなことを言うのを 羨ましく 微笑ましく 聴いていた

  

僕たちは 結婚式も挙げてないし 指輪も造ってなかった

そんなもの いらないと 思ってた

ふたりの間に 可愛い かわいい 澄玲(すみれ 4歳)が生まれた

そして  

4年間に 三人も・・・

  

それだけで 充分すぎると 思っていたのに・・・

   

やっぱり 儀式は 行なわなければ いけないのかな

"指輪"  という 形 も 何かの 支えになったのかも しれない

  

どうしてって 

律儀な僕は 結婚式では 新郎自ら マイクを持ち

如何にして ふたりが 結婚するに 至ったかを みんなに話しただろうし

今度は 式の出席者全員に 離婚の理由を説明する・・・         

なんて 面倒な事 ・・・                                  するかなぁ~

  

やっぱり 思い留まるなぁ

  

指輪にしても 

それが 指にあるだけで 救われる ってことが

もしかしたら あったかも しれない・・・

   

   

   

  

      

そういえば 学生の頃 

僕のことを 好きになってくれて 付き合った娘がいた

  

その娘が

「ねぇ~ 1000円のでいいから 指輪買ってぇ~」

と 言ったのを 思い出した

ひとつ 買ってあげて とても 喜んでいたのを 覚えている

  

しばらくして 別れてしまったけど 

僕には なにも 物は くれなかったと 思う

たぶん " 物 "  で 僕を 縛ることを したくなかったんだと思う

  

彼女は 1000円の指輪で 

" 形としての愛 " が欲しかったのか

それとも 想い出 が欲しかったのか

  

今となっては わからないけど・・・

      

  

指輪   の歌詞

「死にません! 死にません!」

って なんて嫌な事を 言うんだろう

  


志麻ちゃんは そう 言ったよね

  


でもね やっぱり 男は 少しは 考えるよ

いや 前の会社のときは かなり考えた

だって いつ 居眠り運転で 死ぬか わからなかったもの・・・

  


だから 保険に入るのだし

実家にも せめて 住むところだけでも 与えてください と お願いしていたし・・・

  

実際 おととし 東名高速の事故で死んだ

島崎の彼女の無念さといったら ないだろう

海野・田中さん・僕は あの仕事がなくなってから

島崎と一緒に 新しいいろんな仕事をやってきた

海野は 事故の日 一日中 泣きながら 仕事をしていた

お通夜の時 真赤な目をしていた

  

だからね

一生懸命になるし 相手に優しくしなくちゃいけない

言いたいことも してあげたいことも たくさんあったろうに

  

僕は 古臭い人間だから

つい 戦争の時の人達は どんな想いだったのだろう と思う

生きて帰ってくる可能性なんて ほとんどないのに・・・

   

   

だから 

生きている人間は それだけ幸わせにならなくてはいけない

頑張って 幸わせにならないと・・・

   

   

   

  

  

  

あっ 懐かしい事を 思い出してしまった

昔 とあるお嬢さま?と 映画を見たことがある

付き合うか どうか という時・・・ 結局 付き合ってない・・・・けど・・・・たぶん

   

   

戦争中の長崎  好き合ったふたりのお話

結婚式にむけて そのふたりも家族も 幸せそうに準備をしている

  

そして 結婚式 当日

みんな 笑っている                      夏の暑い日

  

式の最中 空襲警報が鳴り

大爆音とともに 画面が 真っ白になる・・・

   

   

映画は そこで 終わる      原爆の日の出来事だった

  

  

お嬢さまに 「一緒に見て!」 と言われて 見た映画だった

感想を訊かれて

「幸わせの最中に みんな一緒に死ねてよかったね。

どちらかが生きていたら 可哀想だよ。

幸わせのまま死ねたんだよ。」

「原爆については 爆弾の大きさの問題だから

良いとも悪いとも言えない。」

と 答えた  今も そう思う

  

  

  

  

  

P.S.

長崎に縁のある志麻ちゃん(本籍地が長崎なのである)に対して

原爆を否定しないことは 不愉快かも知れないけど

戦争って とっても 不公平なものだから 

どうしても 持てるものが勝ってしまう 正義になってしまう

戦国時代 長篠の戦いで 織田・徳川軍は 鉄砲隊を使った

一般の人を巻き込んではいないけど 同じ事だと思う

もっとわかりやすく例えると 

戦闘機を持たない イラクに アメリカが空爆することと同じか・・・

  

良いか悪いかは それぞれが決めれば いいと 思う