もぐらと星の物語 -19ページ目

感じたい

きみの声がするだけで 落ちつくんだよね

近くにいるんだなって わかるから

  

” 電話でも? ”

 

そう 電話って 耳元に きみがいるような そんな気になるよ

 

 

きみを見つめていると 優しい気持ちになれるよ

いつも 穏やかに 笑っていてくれるから

  

” 見つめられると 恥ずかしいよぉ~ ”

  

それでも 微笑んでいるよね

  

  

きみの髪のにおいは すこし甘いね

そして 汗をかくと

僕でも 男の本質を 揺さぶられるような気がする

  

” どうして? ”

  

どうしてか わかんない・・・

  

” 不思議だね ”

  

  

そうなると やっぱり きみに触れたいな

よく 顔を見せて・・・

  

髪の毛をかきわけ 両手で頬を包んで

じっと きみを見つめる

細い肩を ゆっくりと 胸に抱き寄せる    心が 静かになる・・・

  

” どうしたの? きょうは・・・ ”

  

愛しいきみを 五感すべてで 感じていたい

  

” じゃあ あたしは 食べられちゃうの? ”

顔を上げて いたずらっぽく きみは 笑う

  

そうだよ 

くちびるで キスして

僕がきみの きみが僕の ものだという

安心感を 味わいたいな


  

  

   


   

季節 音痴

北海道は 内地 ( 北海道の人は 本州のことを こう呼ぶ ) と季節がかなりずれている

  

一年で 一番最初に咲く花が 福寿草

これが 3月上~中旬

  

次に こぶし 

これも 同じ くらいか

  

梅 と 桜  なんて 一緒に 咲く

たぶん 今ごろ ・・・           ゴールデンウィークの頃

  

僕だけかも しれないけど         (絶対 おまえだけだよっ!)

ピンク色の花が 梅で   白い花が 桜 だと 思ってた・・・

  

だって 一緒に 咲いてたら わかんないぢゃない?

それに 桜を 特別の花だという 認識がない!

どうして みんな あんなに 狂喜乱舞するのかと 思ってた

  

修学旅行で 奈良の吉野に行ったとき

「そうか この山には 桜しか 植えなかったんだ!」  と 思った

  

  

ところが 大学に入って 東京 に来て びっくり!!

  

「さくらの花って 葉っぱより先に 咲くのかぁ~」

「しかも 咲いているのは さくら だけじゃないかぁ~」      ・・・・そんなの ずるいっ

派手 だし いやがおうにも 目立つ                 やっぱり 綺麗

  

北海道では いろんな植物が みんな一斉に葉を付け 花開くから 

あまり 桜の 存在感が なかったんですね               ほっ

  

いや まてよ

「さくら 花咲き 風 匂う 名も円山の 学び舎に~ ・・・」

小学校の校歌である

やっぱり 北海道の人でも 桜を 愛でている

  

  

う~ん 気づいてしまった 

とっても 恥ずかしいこと・・・            いやぁ~   まったくもって  恥ずかしい

  

僕は 遺伝的に 赤色盲 なのである

微妙な 色の違いが わからない

いや 単純な色 信号は わかるよ  免許あるから・・・

例えば 緑の山の只中に 一点だけ 赤や黄色いところがあっても 

僕には それが 見えない       消えてしまうのである

あるいは 色を 明るさで 見てしまうので

薄いピンク・薄い水色・薄いグレー なんかは 同じ色に 見えることがある・・・

だから 教師にはなれなかったし 心理学科なんか 受験さえもさせてもらえなかった・・・

  

だから 僕に 花の名前を 教えてくれる人が いない・・・

だから 当然 季節音痴である

  

それって 北海道生まれ   関係ないじゃん・・・

  

  

  

  


  

腕枕

僕の腕枕で寝ていたきみが 寝返りをうった

  

” あっ ”

  

きみの髪の毛に 顔をうずめてねむろうとした僕の

枕にしている 右の腕を きみが舐めた

  

  話してなかったっけ・・・    その傷

   

小学二年の冬

うちの犬と向かいの犬が ケンカを始めた

まだ小さいうちの犬を助けようと 僕は2匹の間に 割って入った

なにが起こったのか わからなかった

右腕に激痛が走り 肉が少しえぐれ 血が滲んだ

 

  

きみが 何度も何度も 舐める

  

いまでは やけどの跡 と言ってもわからない 傷跡

  

  もう 痛くないんだよ

  

” でも・・・ ”   また 舐める

  

僕は きみの名前を呼んで

もう片方の腕に力を入れ すきまなく 体をくっつける

  

” 痛かっただろうなって・・・ ”

  

  大丈夫 辛いことは 思い出せるけど

  痛さを 再び感じることはないよ

 

” そっか・・・ ”  

また 腕に頭をつけて ねむるきみ

  

  大丈夫だよ

  この きみの温もりは 決して忘れはしない


  

  

  

   

 

Love & Peace

         Love & Peace

  

                            叫ぶ詩人の会  作詞 ドリアン助川

  

1983年 冬 フランス

俺は リックを担いで パリの繁華街 安宿を探す

どこからか 聞こえてくる ハーモニカの音

” 大道芸人が吹いているのか? ”

人ごみをかき分け 角を曲がった瞬間

ハーモニカを両手で 支えた 小さな女の子が見えた

七歳ぐらい・・・  鳥のように痩せ細っている

服は擦り切れ 肌が露出している 雪がふっているのに・・・

  

俺は ほんの少し立ちどまり

何事もなかったように また 歩き出す

  

 

1984年 夏 インド

俺は 再び リックを担ぎ カルカッタの暑さに 負けている

澱んだ 川の橋の上 4歳ぐらいの女の子が ついてくる

「お金をちょうだい お金をちょうだい」

誰にもわからないように ほんの少しの お金を渡し

しばらく歩いたあとの おまえの悲鳴

おまえは 大人たちに囲まれて

俺に 貰った お金を取られている

おまえは ” わ~ん わ~ん ” 泣きながら 橋の上に 崩れ落ちる

 

俺は ほんの少し振り向いて

また何事もなかったように 歩き出す

  

子供たちよ ただ一度 会っただけの 子供たちよ 

俺はあの時 おまえらの前を 通り過ぎた 日本人だ

あれからもう ずいぶんと月日が流れ

旅の記憶は 切れぎれなのに

はっきりと覚えているよ みんなの顔を 

鮮やかに覚えているよ みんなの瞳を みんなの輝きを

  

戦争 革命 内乱 貧困 伝染病 子供  大人  人間

  

 

1990年 冬 ルーマニア

デモ隊を 追いかけた 暗闇の町

犠牲者を弔う ろうそくの灯り

おまえは子犬を連れていた ボロボロの服をまとって

「なんでもいい 食べるものを持ってないか」

そう言って おまえは 汚い手を差し出し

俺の手から 何枚かの ガムをもぎ取った

そしておまえは ガムをあわてて口に入れ

残った一枚を 子犬にあげたのだ

  

俺は ほんの少し 微笑んで 

何事もなかったように また 歩き出す

  

1992年 夏 カンボジア

ジャングル 降りしきる雨 アンコール・トム

その遺跡の中から おまえは 突然現れ

牛の骨で作った ペンダントを 俺に売りつけ

「ガイドするから 5$くれ」 と言った

俺は ” うるさい!あっちにいけ ” と大声で怒鳴り

まだ 幼いおまえを 泣かせてしまった

すごすごと 帰ってゆく おまえを見て 

俺は 胸が痛んだ 

それは おまえが 素足だったから

  

俺は ほんの少し 自分が嫌になり

それでもまた 何事もなかったように  歩き出す

  

子供たちよ もう一生会う事もない 子供たちよ

貧しさから 抜け出せたのか それとも あのままか?

なるべくなら 危ない橋は 渡らず なるべくなら 罪に手を染めることなく

安らかでいて欲しいと思うのだ

平和でいて欲しいと思うのだ 

たった一度 会っただけなのに

子供たちよ 記憶の中の 子供たちよ

おまえらも また歳をとり  いつしか 親になるだろう

俺は今なら はずかしげもなく 平然と 胸を張って 言える 

俺は今なら しらけずに おまえらの為に 言える

  

” Love & Peace   Love & Peace   Love & Peace ”

  

 

 

 

  

  

もう 日本に生まれたことを 感謝するしかないね

  

  

これは ” 歌 ” ではない

歌詞(言葉)を メロディーに載せてはいるが ” 叫び ” なのである

だから ” 叫ぶ詩人の会 ”

しかし もう 解散している

ドリアン助川も 昔は ” 金髪先生 ” として 深夜番組に出演していた

一度 久米さんと早稲田の先輩後輩のよしみか ニュースステーションでも 演奏したことがあった。

現在は 明川哲也(TETSUYA) として 活動している

 

幸わせになっても いいんだよ

” 幸わせになっても いいんだよ ”

  

きみは よく

「わたしなんか どうせ   ・・・    こんな 子 だもん・・・  」

って 言うよね

  

でも それは 

きみが 厳しい両親に 育てられたから

きみのことを もっと 良い子 になってもらいたくて

きつい言葉を 言うんだよね

「どうして こんな子なんだろう・・・ 産まなきゃよかった・・・」

「また 間違えたのね・・・    」

 

でも きみのお姉ちゃんと違って 

きみは ほんの少しだけ 傷つきやすかった

ただ それだけ

  

きみは がんばっているよ 今でもね

でも 心のその傷が

” 自分は 悪い子なんだ ”

” 幸わせに なれるはずがない ”

と 思わせて いるんだよね

  

いつも ” きみなりに ” がんばっているよ

  

だから 

きみが その呪いから 放たれるまで

僕は きみに 言い続けるよ

  

” 幸わせになっても いいんだよ ”