信仰って なに? | もぐらと星の物語

信仰って なに?

僕が結婚していた時 お嫁さんだった人 ( あの人 )は 

創価学会の会員でした。

 

いや 結婚した時は 「 私は入っていないよ。 」 と言っていたけど

あの人の 父親が入信していたので

おそらく その時も 入っていたのではないかと思います。

 

僕は ここで 創価学会が いいとか 悪いとか 言うつもりはありません。

語るほど 内容は知りません。

 

でも あの人は 僕よりも 信仰の方を大切にしたのでしょう。

僕には そう思えてなりません。

 

ある意味 それは正しいかも知れません。

人間は 結局の所 ひとりなのですし

己の心の平穏を保つには 信仰というものが 必要なのかもしれません。

 

でも それが その信仰というものが そんなに素晴らしいものであるならば

「 自分は入っていない 」 と 嘘をつく必要はないのではないかな。

そして 犯罪行為をしてまで  お金を造ることも 必要ないのではないでしょうか?

以前 『 世の中がよくわからない 』 という記事を書きました。

あの人は 僕の母親の名前を語って 145万円ものローンを組みました。

正確には 僕の母親の名前の40歳の 架空の人物になり替わって です。

そのお金の一部 あるいは 大部分が 財務 と称される お布施になったのではないかと

思います。 

これは あくまで 僕の憶測ですが 

( ここは僕のブログですから 信じるかどうかは 読み手の方に委ねます  )

このことについて あの人が ちゃんとした説明をしていない 出来ないので

おそらく そうではないかと 思います。

三桁の財務 ( 百万円単位の ) というのが 目標として 存在するようですから・・・

 

それでも そうすることで あの人の心の中が穏やかでいられれば

それはそれで 良いことなのかな と思います。

ただ 僕には それが理解できないだけ・・・

だから 離婚したのであって もう 関係のないこと。

僕よりも 大切なものがある ということに ショックだったけれど

それも 今 考えれば 僕の力が 足りなかっただけのこと・・・

 

 

一度 あの人が 泣きながらこう言った。

 

「 わたしが どんな思いで うそをつかなきゃならなかったのか わかる?  」

 

僕には まったく わからない。

自分が正しいと思う事を しているならば うそをつく必要もないし

なによりも 心の中が 落ち着いていられる。

安心していられる。

僕は その手助けとして 信仰があるのだと 思う。

信仰があるから 幸せになれる のではなく

あくまで その人 本人の問題だと思う。



 

 

 

今 あの人が考えている事

『 けんちゃんが 不幸になれば 私が幸わせになれる 』

そう考えるのは 仕方のないこと。

僕は あの人を幸わせにはしてあげられなかった。

それは 紛れもない事実。

だから 僕が不幸になる事で そして 他の誰かと 

あの人が幸わせだと感じてくれたらいいな と思います。

 

でも だからといって 

僕以外の 他人を憎むこと 傷つけることは

ちょっと 違うと思う。

無言電話やいたずら電話などの 犯罪行為をすることで

あの人は 自分の心を穏やかにすることができるのだろうか?

それで 憎むという感情が消えるのだろうか?

 

僕が付き合っていた 智ちゃんは 

「 もし 前のお嫁さんが なにかの事情で 子供たちを育てられなくなったら

  私が面倒見てあげますよ。 」

と言って 優しい気持ちを示してくれた。

その人を どうして傷つけなければならなかったのか

僕には 理解できない。

 

 


願わくば 

あの人の 心の中が いつも 平穏でいられるように